寒いウェールズと、かるた
こんにちはー
イギリスはもう、夏が終わりか??と思うくらいに肌寒い。
インターネットでいろいろな国に住んでいる生徒さんと話すのだけど、今の時期、おーすとっりあに住んでいる生徒さん以外は、みんな暑そうで、袖なしの洋服、もしくはTシャツに扇風機を付けてみなさん授業を受けているのだけど、、、その姿をみて、本当にうらやましい!!!
かき氷とかがりがり食べて、汗をガンガン書きたい。。と思うのはぜいたくなのだろうか。。。(涙)
雨がしとしと降っていて、外にもでかけられないし、近所の仲のいいお友達はホリデーにいってしまい、お友達と遊べない次女とかるたをした。
うちにはかるたがたくさんあって、長男次男が、小さい時には、トーマスアンドザタンクエンジンのかるたではよく遊んだものだ。
下の写真は日本に帰ったときに、子供たち引き連れて靖国神社に行って買って帰ってきたのが、いろはかるた。
このいろはかるたは、ことわざがのっていて、絵が古臭いところがたまらなくかわいいので、私は大好きだ。
ただ、うちの子供たちには、日本の「ことわざ」の意味も理解できないので、
「くーーーーさーーーーいーーーもの、にいいいはーーふた!!」とか読んで、
「くーーくーーくさいーー」と子供たちが言いながら探しているときには、
子供たちにとっては、意味が分からないから、いいのか悪いのかさっぱい分からず、ひそかに、「ことわざ」を知らず知らずのうちに覚えるかも。。と思って買ったのは間違いだったのだが、日本にいるときは、親戚中動員して、このかるたでよく遊んだ。
さて、言葉を覚えるかるたなら、これ。↓
、
これは、簡単な言葉で、絵もわかりやすいし、リズム感があって読みやすい。
行事かるたなので、日本の行事を覚えることもできる。
海外にすんでいると、ついつい節分の豆まきや、七夕の日を忘れてしまう。「ああ、そろそろだな。。」なんて思っていても、はっと気が付くとすぎてしまったりしているので、「また来年にしよう」なんてすませてしまう。
子どもが小さい時には、こいのぼりは外にぶら下げたりしていたもんだったのだけど、、いまは、「子供の日だよ」って言って終わりになってしまう。。ああさみしい。
日本語はよくわからない、うちの子供たちだけど、平仮名だけはばっちり読めるのは、かるたのおかげかもしれない。(競争し合ってよく取り合いの喧嘩をしていたからか。。)
かるたは冬にやるものだと勝手に思っていたけど、もう、寒いから冬の気分でこの夏をかるた三昧で過ごそうかと思うこのごろだ。。
ラグビー
ワールドカップの日本チームのおかげで、日本でもラグビーがやっと日の目を浴びているようですね。
うちは、次男が小さいころからやっていて、中学のチームでは全国大会の準決勝まで進んだりして強いチームに加わていたのだけど、その間ケガの心配が絶えなかった。
まあ、五郎丸選手も何回も骨折をしてそれでも、ラグビ―をやり続けたそうだし、スポーツ選手は、みんなそういうものなのだろう。
この夏になって、次男が「だんだん、真剣な練習になってきたので、僕は将来――になりたいからそのための勉強をしたいので、ラグビーはやめます。」と、あっさりやめたときには、びっくりしたが、胸をなでおろしたものだった。
ちゃんちゃん。。
とおもったら、、今度は長女がラグビーをやり始めたのであった。
ここ数年、「私もやりたい、チームに入りたい」と言うたびに、「だめだ」と言い続けてきたのだけど、中学校(セカンドリー)に入り、体育の時間でやるようになると、ウェールズのラグビーチームの一員の先生に「素質があるからやりなさい」と言われたといい、いい気になって、クラスの中の仲良しの友達みんなで一緒にチームに入り、いつのまにトーナメントに出るようになってしまった。
長女は昔から、運動神経だけはよく、負けず嫌いに加えて、兄二人に鍛えられているので自分よりも大きい人にタックルするのも恐れない。細い体なのだけど、弾丸のような働きをするので、先生に「やりなさい」と勧められたというのはよくわかる。
最初にチームを組んだときは、1学年上のおんなのこたちと一緒の混合チームなので、仲間割れでよくケンカしていた。
チーム内で、誰それが、ボールをまわさない、、とか、自分にパスしてくれればよかったのに、してくれないからボールを取られた。。etc..とお互いに言い合い。。。
でも、だんだん試合をやって、ラグビーは自分一人だけじゃできない、自分がゴールできたのは誰かが守ってくれたり、捨て身で相手にタックルして、ボールを回してくれたおかげだ、、ということにみんなが気が付いてきたようで、すごくいいチームになってきた。
娘も最初は、自分が何回ゴールを決めた。。ということばかりを話していたので、
一度、次男が
「おまえなーゴールをしたやつだけがえらいんじゃないぞ。ゴールまでボールを持って行ったのは、みんなの力だぞ。他の人のおかげってことをわすれんじゃないぞ」
といい、
毎回試合後に、わたしといっしょに、
「あれは、--ちゃんが捨て身でタックルしてあなたに最後にボールをわたしてくれたからだね。」とか、
「-ちゃんのパスがよかったねーーあれであなたはゴールができたね」とか、
誰かがゴールしたときは、
「よく―ちゃんがゴールできるようにあそこでタックるしたね。あなたのタックルがなかったら、---ちゃんはゴール決められなかったね」
とかいっているうちに、彼女のなかで、だんだんと気持ちが変わってきたようだ。
彼女だけでなく、最近は、みんなもくもくと自分の役割を果たしながらゲームをしているのがよくわかる。
一人ひとりが自分の役割を知り、それに忠実にやっているチームがいいチームなんだな。
今シーズンはあと2週間試合があって終わりだけど、たった短期間のうちにチームのみんなが、いろいろなことを学んだことだと思う。
さて、、
良いチームといえば、、、この試合の日本チームですねえ。
ラグビーワールドカップ2015 日本対南アフリカ 逆転トライまでの繋ぎ!
もう、、いまだに泣けてくる試合。
最初の方で、一人がボールを持って走っているときに、体の小さい日本人は一人で走ると相手にタックルされてしまうので、3人がかりで一人を押しながら走っていっていた。もうすごい試合だ。
そして、、あの試合を見ていたときに、マイケルリーチが、スクラムを組むといった瞬間、家のテレビの前で鳥肌が立つような感覚で、おおおおおおーーと泣いてしまったが、何回みてもこの場面ではくくくくくーーーーと涙がちょちょぎれる。
バザーで見つけた本の中に!!
今日は、車で1時間ほどかけて「JAPANESE BAZAR」に行ってきました。
フェイスブックでお友達が宣伝をシェアしていたので知ったのだけど、「着物」もあるというので絶対に行こうと思ったのでした。(あと、9月から開校する斎藤先生の歴史教室の宣伝もかねて。。うふふ)
思うのだけど、、本当に便利な世の中になったものだ。私が最初に来た頃なんて、知り合いがいなければ、こういう行事はぜったいに知ることができなかったし、ウェールズのいなかにポツンと暮らしていたので、日本人にも会うこともなく、家族に何か送ってもらう以外何も日本のものなど手にはいらなかったので、こういう情報を知ることができるなんてありがたやありがたやーーですわ。
さて、、日本人のバザーに行くと必ず買うのが「本」。娘に「もう山のように本があるから、いらないでしょ」と言われるが、いの一番で「本」売り場に行きましたよ。
昔からは、図書館で一日過ごすことも、本屋さんで丸一日過ごすこともできる。。。くらい本が好き。(といっても、漫画読んだり雑誌読んだりしたりするので、ちゃんとした本をよんでいるわけではないのだけど。。)
友達からは、「立ち読みの女王」と言われるくらいコンビニで立ち読みするのもプロ並みだった。(え?)
(余談だけど、便秘がちだったわたしが、図書館や本屋さんにいくと、必ずトイレにいきたくなり、便秘になると、わざわざ、自転車で図書館や本屋さんに行っていた私。。。(でも、こういう人はたくさんいて、インクのにおいに体が反応するらしい))だから、図書館や本屋がすきになったのかもしれない。。(爆)
まあとにかく、今日もまっさきに本売り場に行って読みたい本があるか探した。
あったあったあった。
今日行ったバザーは、ウェールズと日本のためにとても尽くした方の遺品バザーだったそうで、わたしは残念ながらお会いすることはできなかったけど、お会いしてお話しをしてみたかったなーーと思いました。
さて、、ここからが本題です。
家に帰って本をパラパラパラ―――とめくっていたら、、
なんと!!!!!!
写真一番上の櫻井よしこさんの本「教育が拓く未来」の中に、
LEARN JAPANの歴史教室の先生「斎藤武夫先生」のことが
P.108から書かれてあるじゃないですか!!!
桜井よしこさんは、こう書いています。
「斎藤教諭の歴史教育の根本は歴史を「わがこと」として学べるだけのつながりを個々の生徒と歴史の間に築いてやることである。」
「斎藤教諭が6年生に教える歴史は、大人にとっても面白い内容だ。先述の聖徳太子については「日本書紀」から引用しつつ、基本的事実を抑えたうえで、子供たちに考えさせていく。子供たちが歴史に惹きつけられ、子供たち自身が千四百年も前の人物の立場に立って考えているのが、その授業から伝わってくる。」
「斎藤教諭は小学校6年生の歴史授業68時間のうち、4時間を太子の勉強に充てる。歴史を見つめるとき、太子の撮った政策が日本の国家の枠組みを構築したのであり、それを学ぶことが歴史教育の大きな柱だと考えるからである」
この本は2004年に出版されたものですから、12年前に出版されたものです。
今日の話の最初に戻りますが、12年前だったら、今日のバザーのことも知らなかったでしょう。そして、この本の中で書かれている「斎藤先生」の授業をインターネットで海外にいながら受けることなんて、夢にも思わなかったことでしょう。
斎藤先生に歴史の授業をお願いした時には、断られることを承知で、清水寺から飛び降りる覚悟(爆)でお願いしました。そして、斎藤先生のひろーーいお心で快く引き受けていただいた時には、この授業を受けることができるような世の中になった生徒さんのことを思い羨ましくなりました。ラッキーラッキーラッキーですよ。
そして今日は、ウェールズと日本の間を取り持った大先輩の蔵書から、斎藤先生のことが書いてある本を見つけたことは、とってもうれしい気持ちでいっぱいです!!!
バザーに行ってよかった!!オーガナイズしてくださった方、ボランティアのみなさまお疲れ様でした。
宣伝
斎藤先生の歴史教室について、ご興味のあるかたは、LEARN JAPANのお問合せフォームからお願いします。
偉大な両親。。続けることの大切さ
前回に引き続き、今日も卒業テーマです。
1年半くらい国語の担当をしていた生徒Aさんが、日本帰国とのことで担当を終えることになりました。同じ時期に、同じ年の生徒さんで、去年日本に帰国したのだけど、それからも続けて担当をしていた生徒Bさんが、日本の国語授業にもついて行けるようになった、とのことでわたしとの授業を終えることになりました。まあ、わたしにとっては、二人とも卒業――みたいな感じです。
どちらも、同じ年で、性格は正反対だったけど、とてもかわいらしく、私の末娘と学年が同じことからとても親近感をもっていたので、ちょっとさみしいけど、本人たちのことを考えれば、よかったねーー、いままでとてもがんばったねーーといって喜んであげたい。
今度、日本に帰国する生徒Aさんは、とても頭がよくまじめで、一生懸命な生徒さんで、日本にいる彼女と同じ学年の国語力を保つことができていたと思う。彼女は5,6年前から住んでいるといっていたので、もの覚えが始まったころにはすでに周りは英語だったとおもうのだが、日本語を話すだけでなく、国語の能力を、日本にいる日本人並みに保つことができたのは、すごいなと思う。
もう一人の生徒Bさんは、とても元気な生徒さんで頭の回転もとても速く、一緒に話をするのが楽しみだった。日本語は余裕で話せたけれども、漢字の勉強をしたり読んだり書いたりするのがあまり好きではなく、教科書を読むときはたどたどしかったのだけど、日本に帰ったとたん、読むことも苦でなくなってきたようで、いろいろな本を難なく読めるようになった。そして、先日は国語の漢字のテストで最高点を取ってきたとお母様から聞いた時は、帰国してからたった1年でここまでになって、すごいなあーーと思ったし、とてもうれしかった。
二人に共通しているのは、素晴らしいご両親がいることだ。特に、、海外赴任になり外で働くお父さんを支えながら、子供たちの教育に力を注ぐお母さんの存在。
この2人の生徒さんのお母様からは、いろいろなことを学んだ。
現地校にいって帰ってきてから、現地校の宿題と、そのほかに私の出す宿題を毎日やらせることは、いうのは簡単だけど実際はとても難しい。それを、毎週私の出す、大量の宿題を毎回しっかりやらせてくれて、スキャンして送ってくれていた。この1年半の間に毎週だ。
わたしもお金を出して、毎日勉強するプリント塾を頼んだことがあったが、続けることはとても大変だったので、コンスタントに続けることの大変さはわかる。
まあ、うちは子供は4人だから。。といいわけしたいところだけど、上記の生徒さんの兄弟は、2人姉弟と、3兄第
3兄弟の方は年がほぼうちと同じ年齢だったし。
専業主婦だから、、とかそういうのも言い訳にできない。
なぜなら、私が専業主婦だった時もそこまでできなかったからねえ。
本当にいろいろな面で、勉強になりました。
よくできる子の陰には、偉大な母がいるものですわ。。
そんなことをつくづく感じたのでした。
2人とも、海外での国語の勉強の卒業おめでとう!!
これからも頑張ってね。
長男のプロムの日に思うこと
先日は、長男のプロムの日だった。
早く言えば、日本の中学卒業のパーテイだ。
卒業式とかそういうのはないので、男子はスーツかタキシード、女子はイブニングドレスで海辺の高級ホテルに集まり学校の先生とともに食事をしてパーティだった。日本のように、親も出席で「仰げば尊し」とか歌うようなものではないので、親としては物足りないが、(特に日本の卒業式を知っている私にとっては)初めて買ったスーツを着て颯爽と家を出ていった息子。。。嫌がる息子を、「日本のじじとばばのために、、」といって、やっと2枚写真を撮らせてもらった。
その後、ユーロサッカーの試合を見ながら、娘がフェイスブックで息子たちの学校のみんながフェイスブックに投稿する写真を見ていたので、ちらっとのぞいたら、おんなのこたちが女優のようにきれいでびっくりしてしまった。
娘に「あなたもこんなドレスきるのかしら?」と言ったら、「私の前に次男がいるよ、次男のスーツ買わなくちゃね」と言われ、次男が「僕はタキシードにするから。。」すました顔でいったので、わたしは口があんぐり開いてしまった。
パーティの後、友達の家に泊まって次の日帰ってきた長男に「プロム楽しかったみたいでよかったね。それにしても、おんなのこたちめっちゃきれいだったねええ。みんな素敵なドレス着てたよねえ」
といったら、
「マミーはあと3回、プロムあるんだよ。スーツかドレス×4+プロムのパーテイ代。。。お金かかるね」
と現実的なことを言われてしまった。。
せっかく、「成長したね。。」と感激していたのに。。
その日はウェールズ対ポルトガルのユーロサッカーの試合の日で、渋滞になったのではないかと心配したが、あいにく負けたので、夜中に帰ってくるときは道はすいていた、、と迎えに行ってくれた息子のお友達のおかあさんがいっていた。
(ウェールズではEU離脱の話よりも、こっちの話(ウェールズチームが準決勝までいったこと)の方がメインになっていたと思う。。。(爆))
イギリスでは、この中学卒業前に、GCSEという国内統一試験のようなものをやり、その結果(8月の末)を待って、その後の進路の手続きをする。公立ならば、シックスフォームといって、今まで行っていた中学の続きで同じ学校に行って、大学に入るための勉強を2年間するか、カレッジにいって、専門の勉強をする子もいれば、大学に入るための勉強をする子と、いろいろと別れる。大学に入るためには、Aレベルという試験をうけるのだけど、これもまた全国一斉同じテストなので、自分が行きたい大学の学部ではどの科目のAレベルが必要なのかをシックスフォームに入る前に(もしくはカレッジに入る前に)知り、選ばなければいけない。だいたい、3,4教科を取ってそのために2年間勉強するのだ。
そして全国一斉同じ試験なので、自分の行きたい大学の基準を満たしてさえいれば、自分で大学を選ぶことができる。日本のように、大学ごとに試験をうけるわけではないからだ。
そのため、大学側では生徒を学力だけで選ぶわけではなく、内申書もとても大切になってくる。
たとえば、学校の先生になりたい人は、学校でボランティアの経験があったり、アルバイトで勉強を教えていたりすると、大学に入るときにはとても有利になってくる。「本気なんだな」と大学側も思うからだ。
また、デュークオブエディンバラ という、プリンスフィリップが1954年に作った青少年のための賞があり、、ボランティア活動や山登りや長い距離をリュックを背負って歩いてサバイバルキャンプなどをし、銅メダル、銀メダル、金メダルと毎年ランクアップしてやり遂げると、それも内申書にすごくプラスになる。たしか、履歴書にも書けたと思う。
うちの子供たちのように、課外活動が大好きな子供たちにとってはとても有利なシステムだ。(笑)
さて、、この記事の主人公の息子なのだが、
6月のはじめごろに試験が終わって以来、「ああーやっとすべての試験が終わったーーもう何もしなくてもいい」と、毎日ごろごろごろごろごろごろごろごろーーー(永久)しているので、わたしは、
「人生そう甘くないよ。夏休み中にとっととバイト見つけて働け。」
と、いっている。まったく、本人は「勉強したー」といっているが、日本の受験戦争をくぐり抜けてきた私にとって見たら、屁みたいなものだ。(おっと、失礼)
まあ、とにかく卒業おめでとうD.
すくすく元気に育ってくれてくれてどうもありがとうね。
明るく、力強くいきていくんだよ。
兄弟同士の平等について考え始めたら、止まらなくなってしまった話。。
こんにちは。
今日は、兄弟同士の「平等」について書いてみたいと思います。
うちには、4人の子供たちがいます。上2人は年子なのですが、長男に何かしてあげたときには、必ず次男にもおなじことをしていた時期がありました。年も1歳しか違わないし、(厳密には1歳5か月ですが)次男は何をやっても素早く、のんびりやの長男とおなじことができてしまうので双子に接するようにしていたんですね。
小さいうちはそれでよかったのかもしれませんが、だんだん、大きくなってきて長男が嫌がるようになってきたのです。
「僕の方が年上なのに、なんであいつもーーーができるんだ。僕があいつの年にはやらせてもらえなかったぞ。。」と。。
はっとおもいました。
「次男」を中心に「平等」と考えていたことが、「長男」を中心にすると、「不平等」だったからです。
長男は1歳5か月違うだけで、「お兄ちゃん」ということで「お兄ちゃん」との責任を果たし、「年上なんだから我慢しろ」とかいわれて、次男は「小さいからまだしょうがないよね」といわれていたのに、別の場面では、「兄弟平等」だから。。なんて言われたら頭にも来ますよね。。
もっと例を挙げていくと、一番下の娘は長男と7歳次男とは6歳年が離れていますが、長男とおなじ時間まで起きていたい、と言うときがあります。
「あ なたは小さいからもう寝なさい」というと、「IT’SNOT FAIR!(平等じゃない―」と怒るんですね。息子たちは「お前はまだ小さいんだからあたり まえだ。僕たちがお前の年と時にはこの時間まで起きていることなんてできなかったんだぞ。お前が起きていたら、こっちこそ、「IT’S NOT FAIR」だぜ」
と、末娘に言います。
昨 日は思春期になって最近あまり言うことを聞かない次男が主人に向かって生意気な口をきいたので、「お父さんに向かってそんな口の利き方をするんじゃない よ」といったら、「お父さんが僕にひどい言い方をしたから同じことを言っただけだ、平等だ。CHILDREN”S RIGHT子どもの権利」とかいってき たので、
「親と子の間に平等はないよ、義務を放棄して権利だけ主張するな。お父さんをリスペクトできない人にこの家にいる権利はないよ、さようなら。」といいました。(爆)
そう、、、最近学校でも、「CHILDREN’S RIGHT子どもの権利」とか習うようなので、学校の先生も親も大変です。
「CHILDREN”S RIGHT」のパンフレットをもらってきたときは、
「親の権利はなに?PARENTS RIGHTもあるよ」といいましたよ。
まったく、権利ばかり主張することを覚えて、口ばっかり達者になってくるので親としては、ぷりぷりします。
でも、「わたしはもっと口が達者でお母さん大変だったな。。」と思って、「因果応報、因果応報、因果応報」と念仏のように唱えちゃったりしますが(爆)、私の時代は、親にひどいことを言ったら、「げんこつ」がとんできましたからねえ。。
平等とは、、
「かたよりや差別がないこと」とかいてありますが、、
偏りや、差別がないことだなんて、、だれでもわかりますよねええーー(爆)
わたしは、平等とは、すべてのものが平等であるということは、お互いの価値観を認めるということだと思うのです。
人はそれぞれみんな違います。もともと、まるっきり同じ人、同じ植物、同じ動物、同じ場所なんてないのです。だからこそ、すべてのものが平等だといえると思うのです。ということは、他の人との価値感の違いや考えを認めていないと、「不平等」と感じることになります。「平等」、「不平等」に振り回されないで気持ちよく生きていくには、自分という人間の役割、軸をしっかりもてるようになるしかないのですね。
どんどん話が広がってしまいましたが、子供たちには家の中で社会勉強をして、(兄弟同士)たくましく育ってもらいたいものです。
追記。。これを書いた後に、よいサイトを見つけました。↓
イングランドとウェールズの試合を見るとき。。(ユーロサッカーにて)
こんにちは。
今日は、ユーロサッカーのイングランド対ウェールズだった。
朝、子供たちが学校に普通の洋服で行くという。次男が「学校中でウェールズを応援するのだけど、僕はイングランドファンだからなあ。みんなを怒らせないために、日本のチームのユニフォームを着ていくわ」といってでていった。
すでに、朝、近所の車はウェールズの旗をひらひらさせて、走らせている。
長男によると、ウェールズチームの一人が、長男たちの学校の出身だそうだ。
もう、学校総出で応援らしい。
いつも思うのだけど、イングランドチームと戦うときのウェールズ人の鼻息はすごすぎる。。。
困るのが、うちみたいな家族だ。
うちは、夫がイングランド人で、私が日本人。子供は長男抜かしてみんなウェールズで生まれ育っている。長男も生まれたのはイングランドだが、育ったのはウェールズで、みんな小さい時からウェールズ学校に行っているので、ウェールズ語は話せるし(たぶん。。)バリバリのウェールズ人だ。。
うちみたいに、父親か母親がイングランドの子供の友達はいるけれども、ウェールズ人もイングランド人も顔は、日本人よりも(爆)似ているから、ウェールズ人になりきれるし、周りもウェールズ人として扱ってくれるけど、(笑)うちのように、ただでさえ日本人の顔をしているものだから、ウェールズ人とは思ってもくれないのに、父親がイングランドとなると、けっこうきついものがある。
そのため、長男は、いまは普通に、サッカーはイングランドを応援、ラグビーはウェールズを応援しているが、一時,超ナショナリストなウェールズ人になってしまったことがあった。きっと、ウェールズ人として認められたかったのだろうな。今は、半分日本人半分イギリス人でウェールズ育ちということに違和感がないようだが、小学生くらいのときは悩んだんじゃないかなと思う。(のんびりしているからあまりそういう風にはみえないけど)
次男の場合は、ラグビーもやっていて兄弟姉妹の中では一番ウェールズ語もじょうずなのに、ラグビーも、サッカーもイングランドファンだ。
彼の場合は逆に、ウェールズの「ウェールズ―――」という押しつけがいやだったにちがいない。(母の想像)
修学旅行とかに行って、先生にも「イングリッシュはねー(イングランド人のこと)」と悪口をいわれ、「僕の親父がイングリッシュってしっているのに、むかつく」といっていたし、ラグビーの試合で、イングランドとの試合があるたびに、対抗意識を燃やされるのに、自分は関係ないのに嫌気がさしたらしい。(これも母の見解)
上2人に比べて、下の長女と次女は、のんきに普通のウェールズ人になっているようだ。2人ともサッカーよりもラグビーの方が好きで、何かあるといつもウェールズを応援している。おんなのこの方が、まわりにあわせるのがうまいのだろうな、、きっと。
夫は、ウェールズのトレーナーを買ったり(チャリティ―ショップで安かったからだけど)して、こういう試合の時は、ウェールズ人に変装しようとしたこともあったが、何せ、普通のウェールズ人よりも体がおおきいのと、話すとどうしても、イングリッシュとばれてしまうため、家でひっそりと隠れてテレビをみるしかない。
(イングランド戦で試合の時にパブにイングリッシュが一人で行くのはちょっと危険。。)全然スポーツに興味がないくせに、ウェールズ対イングランドの試合は見るのは、気になるというのもあるが、試合に勝った時に、後で、ウェールズ人の友達のところに行って、冷やかしにいくためにちがいない。
わたしは、、どっちも応援しているが、今日試合を見ていた時長男に、
「ウェールズってさーなんでこんなにナショナリズムのかたまりなの?マミーはそれがうざったいわ」といったら、
「マミーだって日本戦の時はすごいじゃん。おなじだよ」といわれ、なにもいえなかった。
そういうものなのかもね。。
さて、、今日の試合はウェールズの選手が、すばらしいーロングシュートを決めた後、イングラドに2点取られて、イングランドの勝利だった。
今日のウェールズのパブは静かだったでしょう。