なんで日本語を教えようと思ったか。1.
こんにちはー。
今日は、わたしがなんで、日本語を教え始めたのかをすこしづつ
書きたいとおもいます。
自己紹介でも書いたように、わたしは4人の子供がいます。ありがたいことに、みんな、すくすくと元気いっぱいに育ってくれました。(まだ育ち中ですが)
長男、次男、長女は思春期に入り、最近ではイライラさせられることが多いですが、
「もう、あなたたちにできる、基本的な家庭教育はやったよ、後は自分でできるだけ考えて、力強く生きていってちょうだい」
ってな感じのおもいでやり切ったぜ!!というかんじです。
ただ、、、ただ、、ただ、、一つだけ、後悔ってものがあるとすれば、子供たちが、あかちゃんの時から、頑張って日本語で話しかけつづけなかったことですねーー。
これだけは、
「ばかばかばかーーおかんのばかーー!」
って、過去の自分を、肩をつかんでゆっさゆっさと揺さぶりたいんです。
長男は、言葉を話すのが遅かったせいもあり、もしかして混乱しているのかもしれないーーなんていって主人が心配して「家では小さいうちは一言語(英語)」みたいになってしまったんです。(いいわけですけど)
私がしっかりいろいろと調べて「そんなことない、私は日本語で話すわ」って決めたらよかっただけですが、「あ、そうかーーまあちょっと大きくなって夏休みとか日本に帰ったときに日本語は自然に覚えるでしょう――私が日本人だし。。」
なーーんて思ってしまったのが運のつきでした。
「夏に日本に帰る」
なんて計画なんて、それから、次々と子供が生まれたので、あっというまになくなってしまったし、「大きくなって、言葉を話し始めたら学校にいくように」なったと思ったら、
ますます英語しか話さなくなり、、兄弟同士でも、英語になり、
もうリンダとまらないーー的に家の中は「英語」一色になり、日本語はどこかにいってしまったんです。
住んでいたところも、すごくいなかで、コンピューターも長男が7歳くらいになるまでほとんどやったことがなかったので、日本人に会う機会も、今のようにミクシーとか、ラインとか、フェイスブックとかブログ周りをして他の日本人がどのように海外で子育てしているのかも知らず、、日本にもかえる機会もなかったもので、(いいわけいいわけいいわけ)
「まあ、なんとかなるだろう。。こんなもんだろう。。」
なーーんて、ずずずずずーーと過ごしてしまい、「はっ」ときがついたときには、自分のこどもにへったな英語を話しかけていて、こちらの友達に、
「おかんの子供たちはウェールズ語なまりと、日本語なまりの英語を話すねー」といわれたときには、「ウェールズ語なまり」っていうのはわかるけど、「日本語なまり」もはいっているのか、、、、、と、母親の責任を感じました。(爆)
あとから、、父が外人で、母が日本人の場合は、(逆でも)父とは父の国の言葉、母とあ、母の国の言葉を話すのがいいって誰かから聞いて、
「あああああああーーうちだめだめだめーー失格」
と思ったものです。
6年ぶりくらいで、日本に帰ったときの日本行の飛行機では、ハーフとはいえど、顔は日本人の子供たちと日本人母の私が、英語で話しているのが
「なんで、日本人なのに、英語ではなしているのさ???」と他の日本人乗客におもわれるのがいやで、
日本語がわからない子供たちに無理やり
日本語で話しかけていた私。。。。。。。。。。。。
まあ、それでも≪知らぬが仏」で、「でもーーみんなこんなこんなかんじなんだろーー」なんて思っていた時はまだよかった。。コンピュータ―を使えるようになって、いろいろな海外子育てバイリンガル情報を読んで、ママさんたちが子供たちのバイリンガル教育に頑張っているのを読んだり、いろいろな情報を読むたびに、
「😞がっくり」
わたし、、、、いままでなにしていたのーーーーーーーーはれはれはれーーーーー
そんなある日、コンピューターで日本語教育の悩みかなんかをを検索していたら、、
こ―んな話をしている人をみつけたのだね。。↓
「自分は毎日働いているので、(その方は日本人の男性の方でした)家にかえってくると子供は妻の国の言葉で話すため、日本語で一緒に話ができないので困っていたが、夏休みに一人で日本の実家に帰すことを毎年つづけていたら、なんとか話せるようになってきた」
これを読んだとたん、、なんだか、頭の中が急に明るくなり、
「これだ!!!これしかない!!!」
っと、長男が9歳になったときに、日本に一人留学をさせることをおもいついたんです。
ながくなったので、続きは今度で。。。
*1:自分が独身の時、デパートの本屋で、ぜったいに日本人の母親と絶対に日本人の子供が「英語」を話しているのを聞いて
「なんだよあれーー??日本人なんだから、日本語話せよーーーー」
って、おもったからなんでですね。。。(汗)