私が何で日本語を教えるようになったか・2.
さて、思い込んだら、すぐに行動をしないと、うずうずうずううううずするわたし。
まず、家族全員に、「これから毎年みんな一人で日本にいくことに、ママは決めました。家族全員でいけるまで、、とおもっていたら、どんどん月日が経って、いつまでたっても行けないので、一人ずついくよ。うちは、4人いるから、4年に一回はいけることになるね。ははは。まずは、あなたからよ。長男!!」
と声高々に宣言し、実家の父に問い合わせ、了解をもらい、
あんぐりしている主人と長男を横目に計画をどんどん進めていった。
ただ、6歳以上から子供一人でも、飛行機にのせてくれるのだが、12歳以下までは、アシスタントが付くので、料金が高くなるらしく、それなら私も一緒について行った方がいいかもと思うほどの値段だった。でも、まだ1歳の次女を連れて行く気にもならず、次男と長女、次女を主人に預けていくわけにもいかなかったので、がんばって、安い飛行チケットを探したのだった。
それでも、こうやって、気持ちが決まっているときは(私一人だけだったかもしれないが)物事がうまく進むもので、なんと、JALでアシスタント着きで、740ポンドのチケットを手に入れることができた。740ポンドというと、結構高く感じるが、(普段400ポンドとか、500ポンドくらいでチケットを買っている身にしては)どこに電話しても、1000ポンド以上はしていたので、これはかなりラッキーな料金だった。
そのあとは、両親の住む市役所に連絡し、教育係の方と話し、息子が小学校に入れるのか聞き、何月何日に日本につくので、そのあとすぐに、小学校に入れるように、市役所の教育係から校長先生に連絡してもらった。
教育係の人「ところで、ご長男さんは日本語は話せるんですよね??」
わたし「(ここで、まったく話せないというとひかれるだろうな。。)はい。すこしは、、話せます。。私が日本人なもので。。」
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さて、、その後何事もスムーズに進み、長男は無事日本に飛び立っていった。
ヒースローまで送っていった主人によると、
「なんだか、アシスタントのひとや、飛行機会社の人たちに、至れり尽くせりされて、うれしそうだったけど。。僕と別れるときは、さみしそうだった」
ということだったけど、、私はあまり心配していなかった。
なぜなら、、
イギリスでは、12歳くらいまで、親が送り迎えしないといけないから、一人でどこにも行ったことはなかったけど、日本では友達の子供も、7歳くらいで、一人で学校に行って一人で帰ってきて買ってにご飯を作って食べていると聞いていたし、
一人で旅行といっても、、飛行機にのるまでアシスタントの人がいてくれるので、乗り間違えはないだろうし、飛行機にのったら、映画でも見て、寝てれば、あっという間に12時間くらいすぎちゃうので長男自身が、なにをするわけでもない。きっといたれりつくされで、鼻の下のばして、ほくほくしているのだろうとおもっていた。(いやな母親か)
案の定、日本に無事到着して、私の実家から、電話をしてきたときは、長旅だったにもかかわらず、ダディとヒースローで別れてから、プレイルームにつれていってもらい、そこには、いろいろなコンピューターゲームがあってそれで遊び放題で、(たぶんPS2だか、3だったか、XBOXかだとおもう、当時の最新版)飛行機にのってからは、至れり尽くせり映画をのんびり見て寝た後、機長室までつれていってもらっていろいろみせてもらい、どんなに楽しかったかを大興奮で話してくれた。
その後、私の弟(彼にとっては唯一の英語が話せてよく知っている叔父)といっしょに実家で寝て、次の日市役所に行って学校まであいさつに行き、叔父が自分の家にもどってから、やっと、私の両親と長男の3人だけの日本語生活が始まることになる。。
つづく。。