イギリスの授業ACTINGクラス
いま、「大石久和」さんという人の本「国土が日本人の謎を解く」を再度読み返しているが、この本には、
「私たちは、日本語を倫理や命令の伝達のための言葉としてではなく、感情や思いの伝達のために磨いてきたのである」と書いてある。
私は、自分の思いや考えを言葉にして話すことがあまり得意ではないだけでなく、感情的な人間なのに、その感情や思いの伝達のために言葉を磨いてもこなかったので、ティーンエ―ジャーになってきた自分の子供が、「スマートマウス」(達者な口の利き方)で口答えをするようになってきたこの頃は、ききき――ーーっとなってしまう。
イギリスの学校では、義務教育の時間に「ACTING」授業があるのだが、うちのこどもたちは、感情をこめて人を言いくるめることがとてもうまいので、さらにいらいらする。(爆)この子供たちの作戦?は、同じイギリス人の私の夫には全然きかないところがおもしろいのだけど。
さて、日本では、欧米といえば、「ディベート」の時間があるから、口論をすることがうまい。。と思っているかもしれないが、わたしは、「ACTING」のクラスも一役かっているにちがいないとおもうのだ。
きっちりと自分の意見を筋道立てて言えたとしても、それが正論であったとしても、人の心を揺さぶることができなくては、聞く耳ももってもらえないだろうし、意見をとりあげてももらえないだろう。逆に、とんでもない意見だったとしても、それがとても魅力的に聞こえれば、人はその意見をよいと思うだろう。そのために、「ACTING」の授業は、ディベートに大いに役に立つものだとおもうのだ。怒ってみたり、悲しんでみたりして、自分の意見を納得させたり、有利に導いていくテクニックを自然に学んでいるというわけだ。ディベートというのは一種のゲームのようなもので、舞台の上の役者のような気持でやるといいのかもしれない。私を含めて、多くの日本人がディベートをするのを嫌がるのは、自分自身への批判とらえて本気でいらいらしてしまうからだろう。真剣なのはそれでいいのだけれども、舞台の上の役者という気持ちでいれば、反対意見の人とのディベートも終わった後はにっこりと握手ができるものだろう。
ということで、イギリスでは、「倫理や命令の伝達」の話し方考え方は「英語の時間やディベートの時間」、そして、「感情や思いの伝達のため」の訓練は「ACTING」でしているのではないかとおもうのだ。(私の勝手な憶測です。)
どうりで、子供から大人まで口達者、芸達者なはずだ。(爆)
子供たちの国語の教科書を見て思ったのだが、最近は日本でも、「対話の仕方」「意見の違う人との話し合いの仕方」などを教えているようで、いいなと思った。(私の子供のころはあまりなかったような気がする)「日本語を倫理や命令の伝達のための言葉として」磨き、デイベートに弱い日本人だから小さいうちからこうやって鍛えていけばいいと思う。次は、さらなる飛躍の「感情や思いの伝達のため」に、ぜひ「ACTING」クラスも取り入れてほしい!!
いいともうのだけどな。。