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LearnJapan 海外で日本語教育?子育て日記

海外での生活と子供のいつからでも遅くない!!日本語教育について書いてみたいと思います。

私がなんで日本語を教えるようになったか・3

日本語の勉強

長男にとって日本での短期留学が大変だったけど、とても楽しい思い出になったらしい。学校では、先生は少しは日本語がわかるだろうと思っていたらしいが、まったく日本語が通じないので、最初は戸惑ったとおもうのだけど、アシスタントの先生(最初からいた)と一緒に、とてもよくしてくれた。

学校から帰ってくると、「ピンぽーーーーーん」とドアベルがなるので、母がでると、

「長男君はいますか??遊ぼうと思ってきましたー」と、学校のお友達が3,4人で毎日きてくれたらしい。

近所に住んでいる私のお友達が、長男が寂しくないか、見に来てくれた時も、

「ピンぽーーん」のドアベルで遊びに来たお友達と一緒に、「ばいばーーい」と楽しそうにでていったらしい。

私も、友人も、私の両親も「???」「どうやって、コミュニケーションとっているのだろう」とおもっていたのだけど、楽しく遊んでいたようだった。

長男の行った学校の子供たちが、本当に素直に長男を受け入れてくれたようで、長男が英語しか話せなくても、引かないで積極的に仲間にいれてくれたらしい。本当に今考えても、長男の行った学校の校長先生および、担任の先生、アシスタントの先生と、クラスの皆様にはよくしてもらった。

また、私の実家の両親も年取っていたことと、母が病気をしていたので、子供の住む雰囲気ではなかったと思うのだけど、そんな長男を気遣っていつも家に呼んでくれた、私のお友達家族の家にも、ほいほい遊びに行かせてもらいまったり過ごさせていただいていたようで、私は今でも彼女たちに感謝している。

そして、じじ(私の父)に連れられて、2人きりで所沢の航空自営隊まで行って飛行機をみてきたり、日本語がわからない中で「はれはれはれ??・」としたこともあったと思うが、1か月半後、元気いっぱいに帰ってきた。

 

空港まで送ってくれた父によると、

「あいつ、嬉しそうに帰っていったぞ。サンキューっていってバイバイといったら、振り返りもせずにアシスタントの人といっしょに荷物検査の入り口に入っていったぞ。

イギリスに帰って家族に会えると思うとれしいんだな。日本語は全然うまくならなかたけどな。」

 

ということだった。

 

そういえば、普段無口ではないけど、どこかへ行っても帰ってくるまで電話なんてかけてこない息子が(まあ、あたりまえか)この1か月間毎日電話をかけてきて、話したがっていたし、、、、。今思い出したが、息子が日本に行っている間にこちらの学校が、ハーフタームといって中休みになったので、長男抜かして家族でのんきにキャンプに行ったときは、行く前に「キャンプに行くからしばらく電話できないからね」と、今から考えれば、鬼母のようなことを言った時は「え。。。」と、とても寂しそうだった長男。。。(汗)

 

さて、ウェールズに、1か月半ぶりに帰ってきた息子は、なんだか少したくましくなっていた。実家の父には、

「日本語結局、全然はなさなかったぞ」

いわれていたので、日本語能力には期待していなかったのだけど、お土産を開けるときに、「はさみはさみ」といったりするので、私が「日本語わかるようになったの?わかる?」と聞くと「はい」などといっていたのでとてもうれしかった。

帰ってきたその日は「ボク、日本語が頭にあるから、英語で話されても混乱する」とかなんとかいっていたのに、朝になって兄弟同士話すようになったら、すっかりと英語脳に戻っていた。きっと、ちょうど長男の頭の中の変換期(英語と日本語の)、つまり、やっと日本語がわかるようになってきだしたときに、戻ってきてしまったので、日本語を忘れることもとても速かったのだと思う。

 

私の頭の中では、「小さい子の脳は柔らかいから、1か月もすれば言語を話せるようになる」なあーーーーーーーんて、よくある話を信じていて、(私だけか。。多分そうだ)一か月も日本にいれば、日本語になれるだろうな、、と思っていたのだが、当たり前だが、そんなことは「神話」だったことが証明された。

私も、、、(本当にまぬけな母だったとおもうが、)子供だって、たった1か月その国にいるからってペラペラはなせるようになるわけではないのは当然だ。。っていうことをきがつかなかった。。

「ひらがなと、かたかな」だけはどうにか読めるようになっていたのだけど、それ以外のことは何も知らずに日本にいったのだから、長男としても、大変だっただろうと思う。

きっと、事前に少しでも簡単な動詞と形容詞を、教えていれば、もっともっと彼の日本語能力が上がったと思う。せめて、子供用の英語と日本語の簡単な辞典くらい買って持たせてあげるべきだった。

私の両親にお礼の電話をしたときには、

 

「とにかく無事にイギリスに返せることができてうれしい。いまはさみしいというよりも、ほっとしたきもちで、疲れ 切ってへろへろだ」

 

という話を聞いて、実の両親といえども、大役を押し付けて、申し訳なかったなーという気持ちとともに、みんながひとつになって、(両 親、弟たち、市役所のみなさん、小学校の先生方、お友達たち、私のお友達、私のいとこたち、叔父おば、祖母、その他いろいろな方々)長男の日本行と日本語短期留学を、成功させてくれて感謝の気持ちでいっぱいになった。

そんな母の気持ちを知らずにか、、、彼は家に帰ってきてから、自慢げに弟妹たちに、どんなに、JALのプレイルームが楽しかったか、機長さんにあえたことなど、日本とは関係ないことを、得々と語っていたので、

「あああーー」

となったものだったが、

 

「あなたの年で、こんないい経験をさせてもらえたのも、たくさんの人のおかげだから、それだけは忘れないでね。みんなに感謝の気持ちを忘れずにしなさい」

 

と言ったら、よくわかっていたようで、神妙な顔で「うん」といってくれた。

 

つづく。